ざるそば

 

江戸時代に大人気だった蕎麦

日本食の代表格として知られている蕎麦(そば)。
家庭でもよく食べられている蕎麦ですが、私たちが「そば」と聞いて連想する麺状のものの歴史は意外と浅く、江戸時代の初期に考案されたそうです。

そば自体の栽培は縄文時代から行われていたと言われていますが、もともとはそば粉を練ったものをお餅のように焼いて食べていました。
それが、次第にお湯と混ぜて作る「そばがき」へ変化、そして江戸時代の初期に細く切った現代で食べられているような麺状のそばが誕生したと言われています。

江戸時代、江戸には単身で移住してきた男性が多く住んでいたため、外食産業が盛んになりました。
そんな江戸で人気を博していた三大ファストフードといえば、そば、天ぷら、寿司です。
中でもそばは安く、手早く食べられることから、非常に人気があったそうです。

 

江戸時代のそば屋

 

江戸時代の蕎麦の値段は?

1853年(江戸時代末期)に書かれた「守貞謾稿(もりさだまんこう)」によると、当時のそばの値段は十六文と書かれています。
江戸時代の中でも時期によって異なりますが、今の価格にするとだいたい300円前後。
現代の立ち食いそばとほぼ同じような感覚ですね。

なお、同じく「守貞謾稿」によれば、江戸末期、江戸市中のそば屋の数は3760店を超えていたそうです。
屋台も含めると、もっとあったかもしれません。

店舗数を聞いてもいまいちピンとこないかもしれませんが、なんとこの数、現在の東京都内のそば屋の数を超えているのだとか!
現在より人口も面積も少なかったことを考え合わせるとすごい数字です。
いかにそばが江戸っ子に人気だったかがわかりますね。

 

江戸時代のそば屋

 

江戸で蕎麦が人気だった理由とは?

よく、京都など西ではうどん、東京ではそばが好まれるといいますが、なぜ江戸ではそれほどそばが人気だったのでしょうか?

理由の1つとしては、江戸周辺では小麦があまり採れなかったことが挙げられます。
そばは小麦と比べて収穫までの日数が短く、あまり土壌が豊かでない土地でも育ちやすかったため、江戸では広くそばが浸透したと言われています。

気の短い江戸っ子には、茹で上がるまでの時間がうどんより短くてすむことも人気につながったと考えられます。

また、脚気(かっけ)という病気の存在とも関係があるかもしれません。

最近ではあまりやらないようですが、健康診断などで、先端がゴムになったハンマーで膝を叩き、足がぴょこんと跳ね上がるかどうかの検査を受けたことがある方も多いのではないでしょうか。

現代では脚気はビタミン欠乏症の一種であることがわかっていますが、当時は謎の病でした。
玄米ではなく白米が食べられるようになったこと、江戸では少しのおかずで白米をたくさん食べる習慣があったことから、多くの人がビタミン不足の状態となり、脚気が江戸で大流行してしまいました。

江戸で流行したことから「江戸患(わずら)い」と呼ばれ、江戸幕府の3代将軍家光、13代家定、14代家茂も脚気または脚気に起因する病で亡くなったのではないかと言われています。

そばにはビタミンがたくさん含まれていますので、脚気の予防に一役買ったと考えられます。

もちろん当時はそのようなことはわからなかったはずですが、経験的に「なんとなく体に良さそう」くらいには考えられていたかもしれませんね。

ビタミンB1や食物繊維が豊富に含まれていてカロリーも控えめなそば。
ぜひ積極的に食べたい食材ですね♪

posted  by 江戸monoStyle